壱葉竹鶴小説集

以前、小説を書いていたので、もう一度そのこころを思い出して書いていこうと思います。

可愛い紐

  1

 あげたぞうりの鼻緒をはき良いようにひっぱって伸ばしている香代の丸まった背を見ていると、おばさんが香代の落としたおはじきを探していた背を思い出した。

 遊ぶわけでもないのに、綺麗だからと巾着に入れて持ち歩いていたのを開いて見ようとして落としたのだ。それもわざわざ砂利の所に落として、見つけられずに泣き出したのをおばさんは仕方ないわねと言いながらしゃがみこんで探した。

 どうして急にその時の様子が浮かんだのだろうと思ったら今、香代が着ている着物がその時おばさんが着ていたものだったからだ。

「香代、大きくなったんだな」

と香代の背に語りかけると首を傾げながら振り向いて

「何言ってるの。昨日も一昨日も会ってるのに」

と、このおじさんは呆けたのだろうかというような顔をした。

 わたしと香代はいとこ同士だが年は離れていて、どちらかというと香代の母親の方が近い。わたしが彼女をおばさんと呼んでいたのは美しい彼女に憧れていたからで、決してその思いが恋にかわってはいけなかったからだ。

 香代の顔立ちはどちらかというと父親に似ているがそれでも仕草などが似ているからかおばさんの着物がよく似合う。

「まあ、夜ごはんはずっとお世話になっているからな」

「母さんの料理に夢中だからいつも彼女にふられるのよ」

 恋人がいたことがないわけではないのだが、デートで外食を誘われるたび、おばさんの所で食べるからと断っていたら離れていった。実際、おばさんの料理に勝る店が近くにはないのだ。恋心にかわりはしなかったが、胃袋は確かに夢中だった。

 しかし、外食に誘うから駄目なのであって自分の手料理をふるまいたいと言われればまず一度は食べに行くのにと言うと香代には、そんな初めから自分の料理を食べてくれと言えるような自信のある女はそういないとあきれて眉と口を曲げられた。

「康(こう)ちゃんは」

 良い具合になったぞうりに足を入れて、似合うだろうというように前につき出し

「康ちゃんはこういう感じのぞうりが似合う人とでないと結婚しちゃ駄目だと思う」

と言われたので

「おばさんは結婚しているじゃあないか」

と、とぼけたが香代がこの頃わたしのことを気にしているのはわかったいた。大きくなったとはいえまだ若い娘で血も近い。もっと年を重ねても気持ちがかわらないのであれば受けとめることもあるだろうが、とぼけていると気づかれていてもとぼけておくのが良い。

 香代はひどく不安な顔になって

「本当はお母さんにあげたかったの?」

と聞いてきた。

「いや」

 わたしは首を振った。

「いくら美人でも、おばさんにその色柄は若すぎるだろう」

 その言葉に安心したのか顔の緊張はゆるんだが少しうつむき気味なってしまった。この娘(こ)の感情はきっと恋なのだろうなと思いながら頭をなでると頬が赤らんだのが見えた。

 きつい物言いをするわりに純情なこだ。

 

  2

 香代の父親に呼ばれて盆栽を見に行くと、数人の親戚とどことなく見たことがあるような青年がいた。以前、近くに住んでいた者の子だと聞いて思い出した。

「道治(みちはる)か」

 すると彼はこちらを向いて一礼してから歩みよってきた。

「康介(こうすけ)さん、お久しぶりです」

 最後に会ったのは彼が中学に上がる前だ。緊張したように少しふるえ気味に目の前に来た道治はかわらず少年のようで可愛くて、つい手を彼の頭において二度ほどよしよしとすべらせると彼の顔つきがゆるんだ。

「あいかわらずですね」

「ん?」

 聞き返すと、

「人見知りの人間を何か言うわけでもなく懐かせる人だから」

 と言われて、そういえば初めて会った時もひどく緊張した様子だったのを思い出した。あれは確か、おばさんに頼まれて香代を迎えに行ったのだ。

「いやあの時は、もっと遊びたいってぐずる香代の横で動けないでかたまっていたお前が、困っているように見えて可愛かったからなでただけだよ」

 今にも泣きそうなくらい目を充血させて、動いたら叱られるとでもいうように肩を縮めていた。あそこの父親乱暴な人だったから仕方がなかったのだろう。

 なでて抱きしめると道治はしゃくりあげて泣き出した。後で香代から道治を泣かせたことにもんくを言われ、あちこちに「康ちゃんは子供を泣かせた悪い人」とひろめられた。

 その後、道治の母親が謝りに来たが苦しそうな顔をしていた。

「お母さんは元気にしているのか?」

 聞くと最近、とても優しい素敵な人と結婚して幸せそうだという。苦しさから離れられたのなら良かった。

「香代はどうしていますか」

 見まわしたがここにはいないようだ。

「いえ、何年も経ってるからどんな風になっているかなと思って」

少し照れた顔は子供の頃の可愛らしさのままだ。

「いつも強気なレディーだよ」

と答えると笑ったのでわたしも一緒に笑った。それから道治は香代の父親に呼ばれて向こうの集団の輪に入っていった。わたしも年のたいしてかわらないおじ達の中に行った。

 

  3

  道治の話を夜の食事の時におじさんとしていると、香代は目を丸くして本当なのかと聞いた。

「嘘をついてどうするんだ」

と返すと

「だって私、会ってない」

と不服そうに頬をふくらませた。

 こちらに戻ったのが昨日で、会えたかもしれない今日は香代が友人と買い物に行っていたのだから仕方のないことだ。

「私も会っていないわよ」

とおばさんは香代を見て微笑んだ。

「男だけで語り合う日だったんだ」

 男は女よりも繊細な生き物だから、まずは女なしで会うのが良いんだとひたいに指をあてて少し斜め上を眺めながらおじさんはおそらく自分は今、いい男に違いないと思っているのだろう顔をしていた。それを見ておばさんは、口に手をあてて何か考えるふりをしながらよそを向いた。肩が笑いをこらえて震えている。本当に仲の良い人達だ。

 ふてくされているだろうと香代を見ると、香代はわたしを見ていた。目が合ったのにそらさないのでよく見てみると、前髪を飾るのに使っている紐が知らないものだった。

「その紐を買ったのか」

と言うと、頬を赤くして目も口もいっぱいにひろげて「可愛いでしょう」と嬉しくてたまらない顔になった。わたしに気づいて欲しかったのだろう。

「ああ、よく似合う」

 絞りのふっくらとした紐だった。耳が隠れるようにして髪を後ろでひとつにしばっている紐も同じ物だ。

「綺麗になったなあ」

と言葉がこぼれた。するとさっきまで自分の格好の良さに酔っていたおじさんに頭を叩かれた。

父親の目の前で娘を口説くな」

「あらあら、いない所でこっそり口説くのならいいのかしら」

と妻に言われておじさんは言葉を詰まらせて、いる時にしてくれと声をこもらせた。

 香代からせまられることはあるかもしれないけれど、わたしから口説くなんてありはしないと大笑いすると、さっきのおじさんより数倍強い力で香代に叩かれた。

 

  4

 目が覚めて、茶を一杯飲んでから家の雨戸を全部開けると、庭の石に腰をかけてうんと体を伸ばした。空はよく晴れていて鳥がとんでいる。ここに座ると父が後ろから抱きしめてくれるのではないかと思ってしまうけれど、それはずっと子供の頃の思い出だ。

 わたしを生んですぐに息をひきとったという母とのことは何も記憶にないけれど、父は仕事でない時間にはよく遊んでくれた。香代の父親はわたしの父の弟で、わたしよりも四才だけ年上でその頃は彼のことをみっちゃんと呼んでいた。みっちゃんと呼ばなくなったのは妻になる人を連れてきてからだ。初めてわたしがおじさんと呼んだ時のごめんと言った彼の顔は悲しそうだった。その人は写真だけで知っている母によく似ていて美しかった。愛情をいっぱいに注いで、わたしが高等学校に上がる前に命を落とした父が愛した人にそっくりだった。

 あの時自分がどんな顔をしていたのかはわからない。でもおじさんが謝ってしまうような状態ではあったのだろう。

「康介さん」

 呼ぶ声が聞こえて自分が目を閉じてうつむいていたことに気づいた。

「風邪をひきますよ」

 道治がしゃがんで下からわたしの顔を見ていた。その肌に水滴がついていたので雨が降り始めたのかと空を見たがよく晴れていた。もう一度道治を見ると自分の頬を温かい水が伝ったので、道治はわたしの涙を受けていたのだと気づいた。

「こんなもの気分が悪いだろうに、受けとめてくれる必要はないんだよ」

と手で彼に落ちた涙をぬぐうと

「康介さんは僕の涙を受けとめてくれた人です」

と言って微笑んだ。このこはもう大人なんだなと少しさみしいような気がしたが、かつての自分のことを考えていたからさみしいとか悲しいとかいう気持ちになってしまいやすいだけで、こんなに穏やかに笑えるようになった道治を見られて嬉しくないはずがない。

「悲しいことがあったんですね」

 ためらい気味な口調でそう問いかけられて、子供の頃のことだよと答えると、かつての自分を思い出したのか黙りこんだ。

「ちょっと、何で朝から良い雰囲気作ってるのよ」

 顔を上げると香代が仁王立ちになっていた。声に驚いた道治はしゃがんでいたところから片足を軸に体の向きをかえた。よろめくのを防ぐために両腕をひろげたものだから、わたしを守ろうとしている部下に見えなくもない。

「私は悪党じゃないわよ」

と爽快に笑いとばすものだからわたしも大きく息を吹き出した。

「香代」

 道治は少し恥ずかしそうにしている。何年かぶりに会う幼なじみがなつかしさとか嬉しさとかそういった感触をひとつも感じさせないまま、昨日も一緒だったかのように大笑いするのはどんな気持ちなのだろう。と横で同じく大笑いしながら思う。

 さっきまで自分で気づきもせずに泣いていたのに香代が来た途端に悲しかった過去への思いが消える。馬鹿だな仕方がないなと思いながらしてきた子守りが一日の中できりかえる気持ちの時間を作ってくれたのだろう。

「こっちに戻ってるって聞いたから会いに行こうと思ったんだけど」

と香代はわたしを見てから道治の方に顔を戻し

「知らなそう」

と言った。

 そうだ。考えてみればこちらに住んでいたのは父親があの男だったからで、両親の婚姻関係がなくなり、父親は酒に溺れたあげくに行方知れず。そうなるとこちらには滞在している家はわからない。

 前と後ろの両方から見られてどちらを向いたら良いのかわからずにきょろきょろと顔の向きをかえていた道治は、香代がわたしの座っていた石にわりこんで座ったため、もとのしゃがんでいた方に戻った。

「白地の着物で座ったら汚れるぞ」

と注意したのだが、この石はいつもわたしが手入れしているから大丈夫だろうと返された。

「汚れたらいけないものを…康ちゃんのお父さんの大事な白衣(はくえ)を着たまま座ったりしないでしょう」

 どうして香代はいつも話したことのない情報を知っているのだろう。

「それで、どこにいるの? 家がわからないと遊びに行けない」

 そう言われて道治は、場所がわかっても来られはしないだろうと自分がいる家の主の名前を口にした。

 わたしはすぐには何も言えず、香代は知り合いだと思わなかったと不思議そうにした。香代はあのことを知らないのだ。

 道治の父親が囲っていた若い娘のことを知らないのだ。

 

  5

 子供だった香代を探しに行くのに必ず通る所があった。それまでにそこで見つけたことはないけれど、もしそこにいたら何も言わずにすぐに抱えて帰らなければならないと思っていた。おそらく香代と五才も離れていない年の少女が囲われている。その少女はその男の妻と同じく苦しそうな顔をしていた。愛とか恋とかの感情でここから出ないわけではないのだろう。暴力をふるわれても暴力的な性行為を強要されても黙って耐えていた。

 もっと年上の男達に何とかならないか相談したことがあったが、あの男の身分を考えると何も出来ないと言われた。詳しくは教えてもらえなかったが、位の高い人の隠し子なのだそうだ。だからどうだというのだと言いたくても自分ではどうすることも出来ず、香代にその手が伸びないように守る努力をするしかなかった。

 そんな中、香代と遊んでいた道治に会った。男の子だが母親やあの少女と同じ顔をしていた。道治だけでも助けられたらいいのにと抱きしめながら思ったのを覚えている。

「お前、知っているのか」

 楽しそうな顔で笑える大人になった彼に聞かずにはいられなかった。口調がかわったわたしに妙な感じを覚えたらしく、香代は黙って横からわたしを見たがそれはほうっておいて道治を見つめた。それに対して彼はためらうことなく

「知っていますよ」

と言い

「子供の頃からずっと一緒ですから」

こちらがさらに驚いた顔になったのを気にもとめていないように笑った。

「母が殴られている間はずっとあの人に守ってもらっていたんです」

 道治の家庭に暴力があったことを知らなかった香代は怒りで顔を真っ赤にさせている。

 しかし

「優しくて可愛くて、愛しい女性です」

と続けた道治の顔は今、その人の姿が浮かんでいるのがわかるくらいにほころんで、香代の父親が妻になる人を連れてきた瞬間を思い起こさせた。あの時のことを思い出すと浮かぶ彼の顔は悲しそうなものばかりだったはずなのにこんな風だった姿もわたしは見ていたのだ。そんなもの見るものかという、若さからの怒りが忘れさせた。

「もしかして結婚するのか」

 わたしにそう聞かれて、今度は道治が驚いた顔になった。

「昔、結婚する人を連れてきた男と同じ顔をしているから」

 そう言われて彼は納得したようにうなずいた。香代を見ると先程の怒りの様子はまったく消えて、満面の笑みで道治の手を両手で握りしめていた。

 幼い頃を一緒に過ごした友人の幸せを心の底から喜べる香代が眩しかった。

 

  6

 大きなことは出来ないけれど、二人の結婚を祝おうとおばさんと香代が腕をふるった料理が出され、道治と彼女が嬉しそうに、恥ずかしそうにしながらそれを食べていた。気がつけばいつからいたのだろうと思う数のご近所さんが集まっている。

「あの二人が結婚するとは思わなかったな」

 いつの間にか隣にいたおじさんに手に持っていた盃を渡されたのでぐいっと呑むと、月は満月に近いくらいになっていて、夜空がぼんやりと白く見えた。

「なあ康介」

 こちらを見ないままおじさんはわたしに語りかけた。

「香代が髪の飾りを紐だけにするようになったのはいつか知っているか」

 そう言われて思い出そうとしたが、記憶の限り香代の髪についているのは飾り紐だけだ。

「ずっと紐じゃなかったか」

と聞くと彼は首を振った。

「十才だ。それまではリボンを結ぶこともあったし、洋服を着てみることもあった」

 そう言われて洋服姿の香代を思い出した。この町で洋服を着る女性はまだ多くなくて印象的だったはずなのに、どうして忘れていたのだろう。

「その頃に何かあったのか」

と聞くと舌打ちをされた。

「お前に可愛いって言われたからだよ」

 言われたことが一瞬わからなかった。

「その紐可愛いね。よく似合うねって言われたからなんだよ」

 中の様子を見ると、香代は羨ましそうな顔をしながらからかい半分に道治の背中を叩いていた。

「いつまでもすねていないで、あいつのことをちゃんと考えてやって欲しい」

 本当は兄弟同様に育ったおいに自分の娘を嫁に出したくはないだろうに、何年もずっと気持ちがかわらないとそうもいかなくなるものなのか。香代の想いが子供の頃からだったことに気づかなかったのはただ鈍感だっただけか。

「みっちゃん」

 愛情たっぷりに彼を呼んでみると、今さら恥ずかしいから呼ぶなと顔をそむけられた。

「そういえば今日の料理は香代も一緒に作ったって聞いたんだけど、香代って料理出来たのか」

と聞くと再びみっちゃんから舌打ちがとんできた。

「いつも食べていただろう。夜ごはんの時にお前がこれおいしいって言ったものは全部、香代が作ったものだ」

 え? と動けなくなっていると、

「俺がうまいと言うものは妻が作ったもの、お前がおいしいと言うものは香代が作ったものなんだよ」

 それが料理好きの人間に惚れているということだろうとわたしから盃を取ってみっちゃんは酒のある所に行ってしまった。

 周りの人達に手拍子つきで昔ながらの唄を唄われて陽気に踊っている香代を見た。

 自分の鼓動が早くなるのを感じた。

 

〈完〉

 

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